★HAPPY LIFE★
日々の生活の事、自分の好きな事について、思いつくがままに書き綴っていこうと思います(*^^*)
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お帰りなさい・・・
やっと・・・
やっと・・・
じぃちゃんもばあちゃんも、家族の元に帰って来ました。
じぃちゃんは先週水曜日。
義兄と主人、8日安置所に行った時
「この人でほぼ間違いないだろう・・・」
という人を見つけていたらしい。
4月13日(水)
広島と東京から義兄と義姉が来て、最終的な確認。
間違いなくおじいちゃんだ・・・と。
同日。
11日(月)に新たに発見されたという女性数体の遺品や写真から
ばあちゃんではないか?という人を発見。
凄く似てる・・・
でも・・・
離れて暮らし、年に数回しか帰省出来ない義兄や義姉達は
ばあちゃんの遺品や着用していた服が、ばあちゃんのものなのか???
似てるけど、本人なのかどうかは判別出来ないまま。
じぃちゃんが確認されたのみで、主人が帰宅。
『おふくろに似てるんだけど、遺品が本人のものなのかが分からない』
私が間違いなく判断出来るもの・・・
ばあちゃんの指輪。
それを主人に話すと
『絶対正確に分かるか?』 ・・・と、顔色を変える。
遺品の写った写真は持ち出し出来ないため、指輪を写メで撮って来たものを見せられる。
ぼやけてるなぁ・・・
でも。色と真ん中にダイヤがついてるっていうのは同じだ・・・
じいちゃんを仮土葬する15日・・・。
私がばあちゃんの遺品などを確認する事になった。
4月15日(金)
じぃちゃんの仮土葬の日。
テレビの映像や新聞の写真でしか目に出来なかった女川の町に入る。
テレビや新聞の映像なんて、ほんの一部だ。
酷い・・・ 酷い・・・酷過ぎる。
主人は 「これでも相当片付いた方だ」 ・・・と一言。
これが津波の威力なんだ。
「復興」なんて言葉を安易に言える場所じゃない。
目の前に広がる風景を見ながら「絶望」する。
もう、涙しか出てこない。
信じられない・・・
信じたくない・・・
でも、目の前の景色は現実なんだ。
じぃちゃんの亡骸と対面する。
あぁ・・・ じぃちゃんだ・・・。
お布団の上で亡くなった人のように「今にも起きてきそうだよね・・・」っていう
そんな亡骸じゃなかったけど・・・ じぃちゃんだ。
やっと会えたね。 じいちゃん。
皆でそっとじぃちゃんを撫でる。
『なんぼ怖かったべね・・・』
じぃちゃんは、女川湾が一望出来る公園に仮土葬された。
「じぃちゃん。 ばあちゃんも連れてくるからね」
「おじぃさん。早くおばあさんを呼んであげないと」
親族達がそれぞれに泣きながら言葉をかけた。
天気が良く、沢山の人達の命を奪ったとは思えないくらい海は穏やかだった。
でもやっぱり・・・
湾の奥に広がる女川の町の無残な姿は夢ではなかった。
じぃちゃんを含め、この日は5人の方の土葬が行われた。
じいちゃんの土葬が終わり、みんなで安置所に行く。
主人が 「ちょっと見てもらっていいかな」 ・・・と。
警察官の立会いのもと、写真を見せられる。
「ばあちゃんのだ・・・ 間違いないです」
何が何だか自分でも分からなくなる・・・
心臓だけがバクバクして・・・
涙だけがボロボロ ボロボロ 後から後から流れてきて
誰かに声を掛けられてるのに、分からない。
「これでちゃんと分かるんだから、しっかりしてくれ!!」
主人に揺さぶられて「ハッ」とする。
県警の方が、遺品の『指輪』を持ってくる。
「間違いないですね?」
「はい・・・ ばあちゃんのです」
ばあちゃんの亡骸と対面。
ばあちゃんだ・・・。
「一昨日見た時よりもいい顔になってる」
「来るのを待ってたんだっちゃねぇ・・・」
「おじいさんが土葬の日に・・・良かったっちゃ」
「おじいさんが呼んだんだっちゃ」
主人や義兄、義姉、親戚達が口々にそう言っていた。
『ばあちゃん・・・ お帰り・・・』
じぃちゃんは、実家のあった場所近くで見つかった。
ばあちゃんは、岸壁近くにある水産加工場の3階の屋根で見つかった。
ばあちゃんだけが、そこまで波に巻かれて流されていた。
あと50メートルも流されていたら、外洋に流されて行ってしまっていただろう・・・
そんな場所だった。
じぃちゃんがそこに引き止めていてくれたんだよね。
絶対、絶対そうだよ。
やっと・・・
やっと・・・
帰ってきてくれたんだね。
じいちゃん、ばあちゃん、ありがとう。
ばあちゃんは21日(木)、じぃちゃんの待つ公園に土葬される。
残念ながら、隣に・・というわけにはいかないのだけれど・・・
やっとじぃちゃんの傍に行けるよ・・・
良かったね。
じぃちゃん、ばあちゃん。
奇しくも、長女の高校入学式と重なってしまったので、私は入学式へ。
じぃちゃんもばあちゃんも、凄く凄く楽しみにしていた入学式。
じぃちゃん、ばあちゃんの写真と・・・
ばあちゃんの指輪と共に、入学式に出席してきます。
やっと・・・
じぃちゃんもばあちゃんも、家族の元に帰って来ました。
じぃちゃんは先週水曜日。
義兄と主人、8日安置所に行った時
「この人でほぼ間違いないだろう・・・」
という人を見つけていたらしい。
4月13日(水)
広島と東京から義兄と義姉が来て、最終的な確認。
間違いなくおじいちゃんだ・・・と。
同日。
11日(月)に新たに発見されたという女性数体の遺品や写真から
ばあちゃんではないか?という人を発見。
凄く似てる・・・
でも・・・
離れて暮らし、年に数回しか帰省出来ない義兄や義姉達は
ばあちゃんの遺品や着用していた服が、ばあちゃんのものなのか???
似てるけど、本人なのかどうかは判別出来ないまま。
じぃちゃんが確認されたのみで、主人が帰宅。
『おふくろに似てるんだけど、遺品が本人のものなのかが分からない』
私が間違いなく判断出来るもの・・・
ばあちゃんの指輪。
それを主人に話すと
『絶対正確に分かるか?』 ・・・と、顔色を変える。
遺品の写った写真は持ち出し出来ないため、指輪を写メで撮って来たものを見せられる。
ぼやけてるなぁ・・・
でも。色と真ん中にダイヤがついてるっていうのは同じだ・・・
じいちゃんを仮土葬する15日・・・。
私がばあちゃんの遺品などを確認する事になった。
4月15日(金)
じぃちゃんの仮土葬の日。
テレビの映像や新聞の写真でしか目に出来なかった女川の町に入る。
テレビや新聞の映像なんて、ほんの一部だ。
酷い・・・ 酷い・・・酷過ぎる。
主人は 「これでも相当片付いた方だ」 ・・・と一言。
これが津波の威力なんだ。
「復興」なんて言葉を安易に言える場所じゃない。
目の前に広がる風景を見ながら「絶望」する。
もう、涙しか出てこない。
信じられない・・・
信じたくない・・・
でも、目の前の景色は現実なんだ。
じぃちゃんの亡骸と対面する。
あぁ・・・ じぃちゃんだ・・・。
お布団の上で亡くなった人のように「今にも起きてきそうだよね・・・」っていう
そんな亡骸じゃなかったけど・・・ じぃちゃんだ。
やっと会えたね。 じいちゃん。
皆でそっとじぃちゃんを撫でる。
『なんぼ怖かったべね・・・』
じぃちゃんは、女川湾が一望出来る公園に仮土葬された。
「じぃちゃん。 ばあちゃんも連れてくるからね」
「おじぃさん。早くおばあさんを呼んであげないと」
親族達がそれぞれに泣きながら言葉をかけた。
天気が良く、沢山の人達の命を奪ったとは思えないくらい海は穏やかだった。
でもやっぱり・・・
湾の奥に広がる女川の町の無残な姿は夢ではなかった。
じぃちゃんを含め、この日は5人の方の土葬が行われた。
じいちゃんの土葬が終わり、みんなで安置所に行く。
主人が 「ちょっと見てもらっていいかな」 ・・・と。
警察官の立会いのもと、写真を見せられる。
「ばあちゃんのだ・・・ 間違いないです」
何が何だか自分でも分からなくなる・・・
心臓だけがバクバクして・・・
涙だけがボロボロ ボロボロ 後から後から流れてきて
誰かに声を掛けられてるのに、分からない。
「これでちゃんと分かるんだから、しっかりしてくれ!!」
主人に揺さぶられて「ハッ」とする。
県警の方が、遺品の『指輪』を持ってくる。
「間違いないですね?」
「はい・・・ ばあちゃんのです」
ばあちゃんの亡骸と対面。
ばあちゃんだ・・・。
「一昨日見た時よりもいい顔になってる」
「来るのを待ってたんだっちゃねぇ・・・」
「おじいさんが土葬の日に・・・良かったっちゃ」
「おじいさんが呼んだんだっちゃ」
主人や義兄、義姉、親戚達が口々にそう言っていた。
『ばあちゃん・・・ お帰り・・・』
じぃちゃんは、実家のあった場所近くで見つかった。
ばあちゃんは、岸壁近くにある水産加工場の3階の屋根で見つかった。
ばあちゃんだけが、そこまで波に巻かれて流されていた。
あと50メートルも流されていたら、外洋に流されて行ってしまっていただろう・・・
そんな場所だった。
じぃちゃんがそこに引き止めていてくれたんだよね。
絶対、絶対そうだよ。
やっと・・・
やっと・・・
帰ってきてくれたんだね。
じいちゃん、ばあちゃん、ありがとう。
ばあちゃんは21日(木)、じぃちゃんの待つ公園に土葬される。
残念ながら、隣に・・というわけにはいかないのだけれど・・・
やっとじぃちゃんの傍に行けるよ・・・
良かったね。
じぃちゃん、ばあちゃん。
奇しくも、長女の高校入学式と重なってしまったので、私は入学式へ。
じぃちゃんもばあちゃんも、凄く凄く楽しみにしていた入学式。
じぃちゃん、ばあちゃんの写真と・・・
ばあちゃんの指輪と共に、入学式に出席してきます。
大震災から1ヶ月…
大震災から1ヶ月経った。
「もう」1ヶ月なのか…
「まだ」1ヶ月なのか…
14:46。
黙祷。
目を瞑ると、色々な想いが頭を過ぎっていく。
まだこの時間、じぃちゃんとばあちゃん、伯母ちゃんは、確実に生きてた。
なんで? なんですぐに逃げなかったの?
もう、現実と向き合って前に進まなきゃならないのに。
悲しい…っていうより、悔しい。
おばあちゃんが生前、いつも言っていた言葉が何度も…何度も…繰り返し、繰り返し浮かんでくる。
「私の母親は、誰にも介護の迷惑をかけないように死ぬ時はポックリ死にたい…って言ってね。
本当にその通り。倒れて、その日のうちにそのまま亡くなったんだよね。
誰にも面倒かけずに。
私も、あなた達に介護の面倒をかけるような事のない死に方をしたいと思ってるんだけどね。」
『介護の面倒をかけるような事のない死に方』…って言ったって…
おばあちゃん。
こんななくなり方は あんまりだよ…
出来るものなら。
1ヶ月前の、地震が起きる前に戻りたい。
(4/12 am0:02 記)
「もう」1ヶ月なのか…
「まだ」1ヶ月なのか…
14:46。
黙祷。
目を瞑ると、色々な想いが頭を過ぎっていく。
まだこの時間、じぃちゃんとばあちゃん、伯母ちゃんは、確実に生きてた。
なんで? なんですぐに逃げなかったの?
もう、現実と向き合って前に進まなきゃならないのに。
悲しい…っていうより、悔しい。
おばあちゃんが生前、いつも言っていた言葉が何度も…何度も…繰り返し、繰り返し浮かんでくる。
「私の母親は、誰にも介護の迷惑をかけないように死ぬ時はポックリ死にたい…って言ってね。
本当にその通り。倒れて、その日のうちにそのまま亡くなったんだよね。
誰にも面倒かけずに。
私も、あなた達に介護の面倒をかけるような事のない死に方をしたいと思ってるんだけどね。」
『介護の面倒をかけるような事のない死に方』…って言ったって…
おばあちゃん。
こんななくなり方は あんまりだよ…
出来るものなら。
1ヶ月前の、地震が起きる前に戻りたい。
(4/12 am0:02 記)
負けるもんか!!
4月7日(木)
明日、8日(金)は震災以来久しぶりの仕事で幼稚園に行くし!!
21日には長女の高校の入学式もあるし!!
よし。
髪を切ろう!!
(相変わらず「どこ切るとこあんの〜?!」…と言われつつ)
そうだ。
3月4日、じぇじゅんと同じ場所に、3つ目のピアスを開けてたし
ばっちりピアスが見えるようにしよう!!
やっと 心機一転!! って気持ちになり
友達にカッコよく髪を切ってもらった矢先…
震度6強って・・・
23時32分。 こんな深夜に。
1ヶ月前の記憶が鮮明に蘇る。
怖くてガタガタ震えつつ…でも、どこか冷静な自分もいて…
停電で真っ暗になった中、床にモノが散乱する音を聞きながら
「あ゛〜… せっかく散乱したものが片付いたばっかりだったのに…」
…と、思ったりして。
なんて罰当たりな私。
そうこうしているうちに、主人が会社へ出勤。
震度6以上の地震の時は、真夜中であろうと出勤しなければならない仕事と役目。
【怖い】ったって、仕方ない。
しっかりするんだ!!自分!!…と、自分に喝を入れる。
真っ暗闇の中、懐中電灯の灯りを頼りに割れたものの始末をする。
子ども達がトイレに起きた時に踏んだら大変!!
その間…
子ども達が手分けして、鍋という鍋、ペットボトル、浴槽に水を確保していた。
頼もしい!! 11日の震災で、学習したんだね。
一番「へたれ」で頼りないのは母の私かも…
そして、つい2〜3日前に片付けてしまったヒミツ兵器をガサゴソと出してくる。
【結婚式の時に使ったキャンドルサービスのデッカイろうそく】
あまりにもデカくて、何度も何度も「捨てたい…」と思っていたキャンドルが
思わぬところでヒミツ兵器となって、『安心感』と…なんとなく『温もり』を与えてくれた。
でも…。
もう二度と活躍して欲しくないな…。
とりあえず、水は大丈夫そうだな。
お…。 ガスもちゃんと点く!!
凄い揺れで、目も当てられないくらいモノは散乱したけど…
どうやら。 今回はそれほどの被害はないのかも…
おぼろげながら思う。
沿岸部の人たちが心配で、ずっとラジオを聞いてたけど
どれほど怖い思いをしてるんだろう…。
でも、どうやら前回のような津波はなさそう。
もうこれ以上、悲しい思いをする人を増やしたくないよ…。
津波警報が解除。
『良かった…』 とホッとする。
地震発生から2時間半後かな。
居間に女ばかり5人で、ウトウトと眠りについたのは。
電気は今日、午前中のうちに復旧!!
子ども達が気になりつつも、仕事は仕事。
仕事仲間が
「こんな時だから、少しでも早く帰れた方がいいよね」
…と、車を出してくれた。
仕事の用事はものの5分程度なんだけど、バスで行くと往復2時間近くかかる。
でも彼女のおかげで、1時間で全て済ませて帰宅できた。
本当にありがとう(T-T)
途中途中で、信号がついてたり… ついてない場所があったり…
せっかく並ばずに買い物が出来るようになったと思っていたら
スーパーの前は長蛇の列。
それを見ただけで、思わず吐きそうになる。
まだまだ電気もガスも水道も、復旧作業中だったところがあるのに
輪をかけて…だもんね。
ちょっと凹む。
いや… かなり凹む。
だけど。
絶対に負けるもんか!!
こんな事でへこたれると思うなよ!!
ちょっと夫婦間でもいい辛かった事なんだけど…。
今日、福島から義兄が来て、主人と共に遺体安置所へ。
主人は職場からそのまま。
身元不明の中から、義父母を捜すために。
夕方、主人と義兄が帰宅。
それらしい人は見つからなかった…と。
明日は早朝から「もしかしたら…」と思う安置所を、数箇所回るという。
現実を受け止めて、気持ちに区切りをつけるためにも…
せめて出てきて下さい。
明日、8日(金)は震災以来久しぶりの仕事で幼稚園に行くし!!
21日には長女の高校の入学式もあるし!!
よし。
髪を切ろう!!
(相変わらず「どこ切るとこあんの〜?!」…と言われつつ)
そうだ。
3月4日、じぇじゅんと同じ場所に、3つ目のピアスを開けてたし
ばっちりピアスが見えるようにしよう!!
やっと 心機一転!! って気持ちになり
友達にカッコよく髪を切ってもらった矢先…
震度6強って・・・
23時32分。 こんな深夜に。
1ヶ月前の記憶が鮮明に蘇る。
怖くてガタガタ震えつつ…でも、どこか冷静な自分もいて…
停電で真っ暗になった中、床にモノが散乱する音を聞きながら
「あ゛〜… せっかく散乱したものが片付いたばっかりだったのに…」
…と、思ったりして。
なんて罰当たりな私。
そうこうしているうちに、主人が会社へ出勤。
震度6以上の地震の時は、真夜中であろうと出勤しなければならない仕事と役目。
【怖い】ったって、仕方ない。
しっかりするんだ!!自分!!…と、自分に喝を入れる。
真っ暗闇の中、懐中電灯の灯りを頼りに割れたものの始末をする。
子ども達がトイレに起きた時に踏んだら大変!!
その間…
子ども達が手分けして、鍋という鍋、ペットボトル、浴槽に水を確保していた。
頼もしい!! 11日の震災で、学習したんだね。
一番「へたれ」で頼りないのは母の私かも…
そして、つい2〜3日前に片付けてしまったヒミツ兵器をガサゴソと出してくる。
【結婚式の時に使ったキャンドルサービスのデッカイろうそく】
あまりにもデカくて、何度も何度も「捨てたい…」と思っていたキャンドルが
思わぬところでヒミツ兵器となって、『安心感』と…なんとなく『温もり』を与えてくれた。
でも…。
もう二度と活躍して欲しくないな…。
とりあえず、水は大丈夫そうだな。
お…。 ガスもちゃんと点く!!
凄い揺れで、目も当てられないくらいモノは散乱したけど…
どうやら。 今回はそれほどの被害はないのかも…
おぼろげながら思う。
沿岸部の人たちが心配で、ずっとラジオを聞いてたけど
どれほど怖い思いをしてるんだろう…。
でも、どうやら前回のような津波はなさそう。
もうこれ以上、悲しい思いをする人を増やしたくないよ…。
津波警報が解除。
『良かった…』 とホッとする。
地震発生から2時間半後かな。
居間に女ばかり5人で、ウトウトと眠りについたのは。
電気は今日、午前中のうちに復旧!!
子ども達が気になりつつも、仕事は仕事。
仕事仲間が
「こんな時だから、少しでも早く帰れた方がいいよね」
…と、車を出してくれた。
仕事の用事はものの5分程度なんだけど、バスで行くと往復2時間近くかかる。
でも彼女のおかげで、1時間で全て済ませて帰宅できた。
本当にありがとう(T-T)
途中途中で、信号がついてたり… ついてない場所があったり…
せっかく並ばずに買い物が出来るようになったと思っていたら
スーパーの前は長蛇の列。
それを見ただけで、思わず吐きそうになる。
まだまだ電気もガスも水道も、復旧作業中だったところがあるのに
輪をかけて…だもんね。
ちょっと凹む。
いや… かなり凹む。
だけど。
絶対に負けるもんか!!
こんな事でへこたれると思うなよ!!
ちょっと夫婦間でもいい辛かった事なんだけど…。
今日、福島から義兄が来て、主人と共に遺体安置所へ。
主人は職場からそのまま。
身元不明の中から、義父母を捜すために。
夕方、主人と義兄が帰宅。
それらしい人は見つからなかった…と。
明日は早朝から「もしかしたら…」と思う安置所を、数箇所回るという。
現実を受け止めて、気持ちに区切りをつけるためにも…
せめて出てきて下さい。
前を向いて歩こう。
少しずつ気持ちの整理をして行こうと思います。
こうやって心の中にある事を吐き出す事で
少しだけでも・・・自分が楽になりたいのかもしれないし。
「よし。頑張って歩いて行こう!!」
・・・って、自分を奮い立たせたいのかもしれないし。
悪夢のような震災から3週間が経ちました。
幸いにも私の住んでいる場所は、市内でも山沿いの高ところにあり
比較的地盤が固いといわれている地域です。
なので、あれだけの激震だったもかかわらず、1軒も倒壊、または半壊などした家はありませんでした。
もちろん・・・ 家の中は目も当てられない程、物が散乱しましたが。
地震発生と同時に電気・ガスなどのライフラインが止まってしまったので
自分の住んでいる家の周辺の事しか分からず・・・
とりあえず近所の人達と
「無事で良かったね・・・」
「家の中凄い事になってるけど、家は大丈夫だね」
なんて。
・・・沿岸部の惨状も知らずに。
小学生と中学生の娘達を迎えに行き・・・
なんとか職場にいた主人と連絡が取れ・・・
何度か主人の実家に電話をしながら散乱したものを少しずつ片付け始めていた時。
札幌に住む友達から携帯に電話が入ったの。
なんでも。電話が繋がるまでの2時間程、5分おきくらいにずっと電話してたって。
その電話で初めて 『だたごとじゃない』 ・・・と。
「Mちゃん!!仙台空港が津波で水没してる!!」
「宮城だけじゃないよ!!関東方面まで大変な事になってるの・・・」
受話器を持つ手と足がガクガク震えて、その後友達とどんな会話をしたのか
ちょっと思い出せない。
ただ・・・
『仙台空港が水没』っていう言葉を聞いて、主人の実家・・女川が心配になった事だけはハッキリと覚えてるんだけど。
とりあえず、同じ町内にある私の実家にみんなで身を寄せて
何度も何度も携帯で女川に電話をしてみた。
もちろん。電話が繋がる事もないし・・・義父母の携帯も『お留守番サービス』に繋がるだけ。
それでも。私も・・・娘達もそれぞれの携帯から電話とメッセージを入れ続けておいた。
震災から3日後。電気が復旧。
携帯に充電は出来るようになったけど、今度は携帯のアンテナが全く立たなくなってしまって
携帯からの電話はおろか、メールの送受信さえ全く出来なくなった。
そりゃそうだよね。
みんなが一斉に安否確認するだろうし・・・
こちらは良くても、相手側の基地局がダメになってるかもしれないし。
もちろん。家の電話もそう。
そして・・・
電気が復旧したのが良かったのか、悪かったのか・・・。
テレビが観られるようになった事で、私達は信じたくないような地獄絵図を目の当たりにする事になってしまった。
ラジオで聴いているだけの方がまだ良かった・・・
観ないほうが良かった・・・
出来ることなら知りたくなかった・・・
でも。
全ては現実。
そして、もっとも観たくなかった映像が飛び込んで来た。
女川町の映像。
主人の実家に帰る道・・見慣れた家々・・ 全て瓦礫の山になっていた。
まだ、それほど海に近いところではないはずなのに・・・。
喉の奥にモノがつかえたみたいに呼吸が出来なくなって・・・
でも次の瞬間、全身が震えるほど泣いた。
義父母はちゃんと避難したんだろうか・・・って。
でも・・・ 日を追うごとに入ってくる情報は
聞きたくないような・・耳を塞いでしまいたくなるような事実ばかり。
気仙沼・・・ 南三陸・・・ 女川。
女川も人口1万人のうち、半分は避難していたものの、半分は消息不明だって言う。
「5000人も消息不明って。。。何?」
嘘だと思いたかった。
やっとインターネットが出来る環境になってからは、毎日、毎日
避難所の名簿やら・・・ 県警のホームページやら・・・
とにかく、何か情報が掴めそうなところ全てにアクセスしてみた。
そんな時、Googleで避難所名簿の写真を撮り
不鮮明な名前を一つ一つちゃんとおこしてくれている人達がいると聞き
避難所名簿の名前一つ一つを確認してみた。
本家のおじ、おばの名前があった・・・ 良かった・・・
親族数名の名前も見つけた・・・ 良かった・・・
だけど。
避難するなら「ここしかない」っていうところの名簿に、義父母の名前はなかった。
震災から10日後。
子ども達が寝静まった後、主人から聞きたくなかった話しを聞いた。
『逃げ遅れたらしいんだ』
沿岸部で民宿を営んでいる伯母(義父の姉)と、義父母が3人で一緒に避難しようとしていた。
そこまでを知っている人がいたけど、その後避難所に3人が来ていない事を知らされた・・と。
嘘だよね??
だけど・・・ それから数日して・・・ 伯母が自衛隊の方達の捜索でみつかった。
主人の実家近くだったらしく 変わり果てた姿だった・・・と。
先週末。 主人が義兄や義姉と共に捜索に参加してくる・・・と実家に戻った。
主人も 「生まれ育った場所」 をおさめておこうと思ったんだろうと思う。
写真を数枚撮って帰ってきた。
もちろん・・・ 義父母はみつけられなかった。
写真を見て驚いたのは、主人の実家周辺の異様な風景。
テレビで見るような瓦礫が殆どない。
主人の実家も、家はおろか・・柱とか屋根とか・・土台すらも全くない。
まるで整地されたかのように何も残ってなかった。
それだけ、引いていく時の波の勢いが凄かったんだろう・・・と。
家族の思い出の品・・とか、そういうものを探すもなにも・・・
なにもない・・・。
悲しい・・・を通り越して、吐き気がした。
主人が、義父の車を実家から数百メートル離れたところで見つけた・・・と
でも、それは自分の携帯で撮ってきた・・・と
ポツンとつぶやいてた。
それは、子ども達には見せられない・・と。
私も見たくなかったし・・・ 今でも見たいと思わない。
思えば。
義父母達が避難所としているところまで行こうと思ったら
一度、津波が襲ってくる沿岸部方面に戻らなければならない場所に家があった。
「おらの家は山に近いから、津波がきても大丈夫だ」
・・・大きな地震で電話すると、必ずそう答えていた義父だったけど・・・
今回はその想像をはるかに超えてたんだね。
18メートルとも・・・20メートルとも言われてるから。
でも。
津波の到達までに30分ちょっとあったって聞くと
「じぃちゃん!!ばぁちゃん!!30分の間、何をしてたのさ!!」
・・・と。
いくら80ちょっとの老人でも、普段車を運転している義父ならば
車で絶対に逃げ切れてたはず。
それなのに・・・
それなのに・・・
なんで???
何かね・・・色々思うよ。
あれ・・おじいちゃん、おばぁちゃんに最後に会ったの、いつだっけかな・・・とか。
どんな話しして・・・ どんな顔して別れたっけ・・・とか。
津波にまかれながら、どんなことを思ったのかな・・・
凄く苦しかっただろうな・・・とか。
そう考えるだけで息苦しくなって、夜中に突然起き上がったりしてしまう。
だけど・・・ 何も言わないけど、一番辛いのは主人だよね。
本当は毎日捜し歩きたいだろうに・・・
仕事はしなきゃならないし。
もうある程度の覚悟は私もしてる。
でもせめて。 せめて体は見つけてあげたい。
・・・とはいえ、見つかったら見つかったで現実を突きつけられるんだ・・・
そう思うと、ものすごく怖い。
こんなに時間が経ってるっていうのに「見つからない」という事で
逆に『希望』を持ちたいって思ってる自分もいる。
私達だけじゃない。
たくさんの人達が、こんなに悲しい思いをしていても、確実に復興に向けて色んなことが動き始めてる。
数多くの人達が犠牲になった中・・・ 私は生きてる。
子ども達も4人揃ってるし・・・ 主人もいる。
そんな当たり前が、どれだけありがたい事か。
どれだけ尊いことか。
しっかりと前を向こう。
生かされた事に感謝しながら、精一杯生きよう。
こうやって心の中にある事を吐き出す事で
少しだけでも・・・自分が楽になりたいのかもしれないし。
「よし。頑張って歩いて行こう!!」
・・・って、自分を奮い立たせたいのかもしれないし。
悪夢のような震災から3週間が経ちました。
幸いにも私の住んでいる場所は、市内でも山沿いの高ところにあり
比較的地盤が固いといわれている地域です。
なので、あれだけの激震だったもかかわらず、1軒も倒壊、または半壊などした家はありませんでした。
もちろん・・・ 家の中は目も当てられない程、物が散乱しましたが。
地震発生と同時に電気・ガスなどのライフラインが止まってしまったので
自分の住んでいる家の周辺の事しか分からず・・・
とりあえず近所の人達と
「無事で良かったね・・・」
「家の中凄い事になってるけど、家は大丈夫だね」
なんて。
・・・沿岸部の惨状も知らずに。
小学生と中学生の娘達を迎えに行き・・・
なんとか職場にいた主人と連絡が取れ・・・
何度か主人の実家に電話をしながら散乱したものを少しずつ片付け始めていた時。
札幌に住む友達から携帯に電話が入ったの。
なんでも。電話が繋がるまでの2時間程、5分おきくらいにずっと電話してたって。
その電話で初めて 『だたごとじゃない』 ・・・と。
「Mちゃん!!仙台空港が津波で水没してる!!」
「宮城だけじゃないよ!!関東方面まで大変な事になってるの・・・」
受話器を持つ手と足がガクガク震えて、その後友達とどんな会話をしたのか
ちょっと思い出せない。
ただ・・・
『仙台空港が水没』っていう言葉を聞いて、主人の実家・・女川が心配になった事だけはハッキリと覚えてるんだけど。
とりあえず、同じ町内にある私の実家にみんなで身を寄せて
何度も何度も携帯で女川に電話をしてみた。
もちろん。電話が繋がる事もないし・・・義父母の携帯も『お留守番サービス』に繋がるだけ。
それでも。私も・・・娘達もそれぞれの携帯から電話とメッセージを入れ続けておいた。
震災から3日後。電気が復旧。
携帯に充電は出来るようになったけど、今度は携帯のアンテナが全く立たなくなってしまって
携帯からの電話はおろか、メールの送受信さえ全く出来なくなった。
そりゃそうだよね。
みんなが一斉に安否確認するだろうし・・・
こちらは良くても、相手側の基地局がダメになってるかもしれないし。
もちろん。家の電話もそう。
そして・・・
電気が復旧したのが良かったのか、悪かったのか・・・。
テレビが観られるようになった事で、私達は信じたくないような地獄絵図を目の当たりにする事になってしまった。
ラジオで聴いているだけの方がまだ良かった・・・
観ないほうが良かった・・・
出来ることなら知りたくなかった・・・
でも。
全ては現実。
そして、もっとも観たくなかった映像が飛び込んで来た。
女川町の映像。
主人の実家に帰る道・・見慣れた家々・・ 全て瓦礫の山になっていた。
まだ、それほど海に近いところではないはずなのに・・・。
喉の奥にモノがつかえたみたいに呼吸が出来なくなって・・・
でも次の瞬間、全身が震えるほど泣いた。
義父母はちゃんと避難したんだろうか・・・って。
でも・・・ 日を追うごとに入ってくる情報は
聞きたくないような・・耳を塞いでしまいたくなるような事実ばかり。
気仙沼・・・ 南三陸・・・ 女川。
女川も人口1万人のうち、半分は避難していたものの、半分は消息不明だって言う。
「5000人も消息不明って。。。何?」
嘘だと思いたかった。
やっとインターネットが出来る環境になってからは、毎日、毎日
避難所の名簿やら・・・ 県警のホームページやら・・・
とにかく、何か情報が掴めそうなところ全てにアクセスしてみた。
そんな時、Googleで避難所名簿の写真を撮り
不鮮明な名前を一つ一つちゃんとおこしてくれている人達がいると聞き
避難所名簿の名前一つ一つを確認してみた。
本家のおじ、おばの名前があった・・・ 良かった・・・
親族数名の名前も見つけた・・・ 良かった・・・
だけど。
避難するなら「ここしかない」っていうところの名簿に、義父母の名前はなかった。
震災から10日後。
子ども達が寝静まった後、主人から聞きたくなかった話しを聞いた。
『逃げ遅れたらしいんだ』
沿岸部で民宿を営んでいる伯母(義父の姉)と、義父母が3人で一緒に避難しようとしていた。
そこまでを知っている人がいたけど、その後避難所に3人が来ていない事を知らされた・・と。
嘘だよね??
だけど・・・ それから数日して・・・ 伯母が自衛隊の方達の捜索でみつかった。
主人の実家近くだったらしく 変わり果てた姿だった・・・と。
先週末。 主人が義兄や義姉と共に捜索に参加してくる・・・と実家に戻った。
主人も 「生まれ育った場所」 をおさめておこうと思ったんだろうと思う。
写真を数枚撮って帰ってきた。
もちろん・・・ 義父母はみつけられなかった。
写真を見て驚いたのは、主人の実家周辺の異様な風景。
テレビで見るような瓦礫が殆どない。
主人の実家も、家はおろか・・柱とか屋根とか・・土台すらも全くない。
まるで整地されたかのように何も残ってなかった。
それだけ、引いていく時の波の勢いが凄かったんだろう・・・と。
家族の思い出の品・・とか、そういうものを探すもなにも・・・
なにもない・・・。
悲しい・・・を通り越して、吐き気がした。
主人が、義父の車を実家から数百メートル離れたところで見つけた・・・と
でも、それは自分の携帯で撮ってきた・・・と
ポツンとつぶやいてた。
それは、子ども達には見せられない・・と。
私も見たくなかったし・・・ 今でも見たいと思わない。
思えば。
義父母達が避難所としているところまで行こうと思ったら
一度、津波が襲ってくる沿岸部方面に戻らなければならない場所に家があった。
「おらの家は山に近いから、津波がきても大丈夫だ」
・・・大きな地震で電話すると、必ずそう答えていた義父だったけど・・・
今回はその想像をはるかに超えてたんだね。
18メートルとも・・・20メートルとも言われてるから。
でも。
津波の到達までに30分ちょっとあったって聞くと
「じぃちゃん!!ばぁちゃん!!30分の間、何をしてたのさ!!」
・・・と。
いくら80ちょっとの老人でも、普段車を運転している義父ならば
車で絶対に逃げ切れてたはず。
それなのに・・・
それなのに・・・
なんで???
何かね・・・色々思うよ。
あれ・・おじいちゃん、おばぁちゃんに最後に会ったの、いつだっけかな・・・とか。
どんな話しして・・・ どんな顔して別れたっけ・・・とか。
津波にまかれながら、どんなことを思ったのかな・・・
凄く苦しかっただろうな・・・とか。
そう考えるだけで息苦しくなって、夜中に突然起き上がったりしてしまう。
だけど・・・ 何も言わないけど、一番辛いのは主人だよね。
本当は毎日捜し歩きたいだろうに・・・
仕事はしなきゃならないし。
もうある程度の覚悟は私もしてる。
でもせめて。 せめて体は見つけてあげたい。
・・・とはいえ、見つかったら見つかったで現実を突きつけられるんだ・・・
そう思うと、ものすごく怖い。
こんなに時間が経ってるっていうのに「見つからない」という事で
逆に『希望』を持ちたいって思ってる自分もいる。
私達だけじゃない。
たくさんの人達が、こんなに悲しい思いをしていても、確実に復興に向けて色んなことが動き始めてる。
数多くの人達が犠牲になった中・・・ 私は生きてる。
子ども達も4人揃ってるし・・・ 主人もいる。
そんな当たり前が、どれだけありがたい事か。
どれだけ尊いことか。
しっかりと前を向こう。
生かされた事に感謝しながら、精一杯生きよう。
『MUSICMAN』
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